レポート
2018.05.29

「信州 塩をめぐる冒険」結団式④

5月19日、長野県大町市の博物館「塩の道ちょうじや」で開催された、「信州 塩をめぐる冒険」結団式。午後は、博物館「塩の道ちょうじや」を見学し、塩の流通について学びました!

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塩の道の宿場町として栄えた大町市。江戸時代後期の塩問屋の姿を今に伝える施設が、「塩の道ちょうじや」=「旧平林家」です。糸魚川から千国番所を経て運ばれた塩や海産物は、大町で「荷継ぎ」されて松本町へ運ばれました。一方、その一部は荷ほどきされて、小売りに回されました。平林家は、そうした塩などを店売りしていたほか、味噌や醤油の加工も行っていました。

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昔のそろばんや「売掛帳」を囲んで、スタッフ・黒川恵理子さんのお話を聞きます。当時の平林家では、現金による売買は少なく、購入者と購入量を記録しておいて盆と年末にまとめて決済するシステムをとっていたそうです。そのことを「盆暮れ勘定」と言ったそうです。

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江戸時代、荷物の運搬は、主に牛や馬が行いましたが、ときには「ボッカ」と呼ばれる人間が運びました。ボッカは通常、約60kgもある荷物を背負子(しょいこ)に載せて背負い、ゴンゾと呼ばれるワラの靴を履き、杖をつきながら旅をしました。荷物が塩だけなら6日間ほどかけて運ぶこともありましたが、生魚の場合は「糸魚川を午後4:00出発 →仁科大町に翌日の午後4:00到着 (人夫を交代) →松本に翌朝の7:00到着」という超特急便もあったそうです。

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常時100俵近い塩が積まれていたという「塩蔵」。貯蔵される塩は、ほとんど「粗塩」でした。粗塩は、空気中の湿気を吸収すると、溶けて苦味質の汁=「ニガリ」を出します。ニガリは、豆腐を作るのに欠かすことのできない材料です。この塩蔵には、塩からにじみ出るニガリを溜めておく「ニガリ溜め」が当時のまま残っており、それはたいへん貴重なんだとか。

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学習のまとめ

盛りだくさんの1日が終わり、閉会式です。子供たちに、思い出に残ったことを振り返ってもらいました。

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【今日、勉強になったことは何ですか?】

「海から長野まで塩がたどりつくことを、はこび方もわかったのでよかった」「塩をはこぶ人は60kgを遠くまではこんでいてすごかった」「塩は、ふつうに今は手にいれられるけど、昔の人は入手するのにむずかしかった」「昔の人が塩をほかんするのがすごいと思いました」「にがりは塩から取れる」「しおはだいじ」 

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とっても奥が深い、塩のこと。そして、その先にある「海のこと」。これから半年間の学習プロジェクト「信州 塩をめぐる冒険」で、さまざまに調べ、考え、学んでいきます。どんな発見や感動が、待ち受けているのでしょうか?

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「結団式」の模様は、2018年6月3日21時48分より、長野放送で放送されます!

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