「海は楽しいけど、怖い」。そんな思いを抱いている人は少なくないのではないでしょうか。日本は島国であり、美しい海に恵まれています。海水浴やマリンスポーツ、釣りなど、海を舞台にしたレジャーを楽しむ人も多いでしょう。しかし、その一方で、毎年夏になると、海や川などで溺れて亡くなる事故が後を絶ちません。水の事故は、交通事故と並んで、子どもの不慮の事故死因の上位を占めているのです。
こうした現状を受け、2024年6月19日、東京ポートシティ竹芝で「海のそなえシンポジウム~水難事故対策の常識を疑う~」が開催されました。タレントの田村淳さん、藤本美貴さんをはじめ、異分野・異業種の有識者が集結し、水難事故の実態と対策について議論を交わしました。シンポジウムでは、1万人以上を対象とした水難事故対策に関する調査結果も初公開。データを示しながら、海を安全に楽しむためのアプローチについて意見が飛び交いました。
シンポジウムの冒頭、日本財団の海野常務理事が「毎年同じような水難事故がなぜ繰り返されるのか。私たちもいろんな活動をしてきましたが、今まで常識と思っていたことが本当は常識じゃないのではないか」と問題提起しました。続けて、警察庁のデータを示しながら「水難者数は年間約1,600人、死者・行方不明者数は年間約800人。発生場所の約8割が海と河川だ」と、水難事故の実態を説明しました。こうした現状について、NHK報道局の近江さんは「子どもの事故に新しいものはなく、全部どこかで起きた事故の繰り返しだ」と指摘します。日本では2005年以降、1,600人以上の子どもが学校管理下で亡くなっているというのです。「毎年のデータもほとんど同じ結果で驚いた。日本では事故の調査や分析、共有がされていないことが大きな要因だ」。近江さんはそう語気を強めました。今回の調査結果からも、水難事故の実態が浮き彫りになりました。調査を担当した日本ライフセービング協会の石川さんによれば、溺れの経験は12歳までが多く、その多くは幼少期の体験だったことがわかったのです。「約200の主要海水浴場で毎シーズン2,000〜3,000件の救助が発生している。自然要因で一番多いのは『離岸流』で、個人要因では泳力不足や疲労、パニックがあげられる」。石川さんは、海水浴場における救助のデータを示しながら、事故原因についても言及しました。
続いて、学校教育における水難教育の問題点についても議論が及びました。「溺れたときどうやって対応すると習ったか」と問いかけた田村さん。会場の多くが「受けたことがない」と反応する中、日本水難救済会の遠山理事長が「これまで、”大の字で浮いて待つ”と言われてきたが、波のある海で大の字で浮くのは難しい」と指摘します。イカ泳ぎや立ち泳ぎなど、状況に応じた術を身につける必要性を訴えました。さらに、「泳げることと、溺れないことは、違うんです」と石川さん。調査では、溺れの経験のある人の当時の泳力は25m以上泳げる人が約半数だったことが明らかになりました。「小学校の教員が水難事故防止教育を教えるのが難しいと感じている」というデータもあり、学校教育の現場で水難教育が十分にできていない実態が浮かび上がったのです。遠山理事長は「水難教育の重要度についての認識が低い。国の意識を変える必要がある」と訴えます。事故が起こってから対策をとるのではなく、広く情報を共有して国民の意識と知識を高めることが肝要だというのです。「学校だけに押しつけるのではなく、関係団体や地域社会と連携することも必要だ」。遠山理事長は力を込めてそう語りました。
シンポジウムでは、命を守るアイテムのあり方についても白熱した議論が交わされました。調査では、ライフジャケットの着用経験がないのは約半数以上、海や川など遊泳時の着用経験に至っては15%以下だったのです。「そもそもそなえが難しい。どれだけ身近なところにあるかが重要」と、株式会社SIGNINGの亀山さん。従来の「命を守るためのアイテム=決まったライフジャケット」という認識から、「海を楽しむためのアイテム=選べるフローティングアイテム」へと考え方の変化を提案しました。
会場には、浮力のある水泳パンツやウエストポーチ型、ブレスレット型膨張式浮力体など、さまざまなフローティングアイテムが展示され、参加者の注目を集めました。藤本さんも「これめちゃめちゃいい!」と目を輝かせます。「可愛くて、遠くからも見やすく、音が鳴るといい」と、母親目線のアイデアも飛び出しました。田村さんも「可愛いアイテムを娘に買って使っているところを見たい」と、商品開発への期待を膨らませていました。
そして、シンポジウムのクライマックス。12年前に息子さんを水難事故で亡くされたNPO法人Safe Kids Japanの吉川さんが登壇しました。「まず第一に重要なのは、現場検証をし事実としっかり向き合う、正しく知る、ということ」。吉川さんは涙をにじませながら、次のように語ったのです。
「子どもの命を守るためには仕組みが必要です。責任問題だけで事故を終わらせてはいけない。西条市では保育・教育活動で水辺での体験学習を行う際、ライフジャケットの着用が決まりました。市内にライフジャケットのレンタルステーションが設置され、学校などで活用されている。少しずつ全国に広がり始めています」
吉川さんは息子さんを失った悲しみをバネに、水難事故防止に向けた取り組みを続けてきました。「いろんな人が連携し、社会全体で子どもの命を守る仕組みを作ることが大事です」。吉川さんの言葉は、会場の隅々まで響き渡ったのです。
最後に、海野常務理事がこう締めくくりました。「海からコントロールできないので『怖さ』を排除するのは難しい。完全に安全な海を作ることはできません。私たちが、常に”海の怖さ”を忘れないことこそが安全に海を楽しむことだと思います」
誰もが、海の美しさ、楽しさを知っています。しかし同時に、海がときに牙をむくことも忘れてはなりません。事故から命を守るには、一人一人の意識と知識、そして社会全体の仕組み作りが欠かせないのです。本シンポジウムをきっかけに、行政や民間、専門家など、さまざまな立場の人が手を携え、水難事故の削減に向けて動き出すことが期待されます。
楽しい夏を迎える前に、今一度「そなえ」について考えてみる。本シンポジウムは、私たち一人一人にそのことを投げかけてくれたのではないでしょうか。