「信州 塩をめぐる冒険」の茅野エリアのフィールドワークが6月16日に開かれました。茅野市は長野県のほぼ中央、諏訪地域にあり、「日本三大奇祭」として知られる御柱祭の舞台のひとつにもなっています。
この日のテーマは「寒天」。
諏訪地域の産業のひとつで、寒天の原料が海藻のテングサであることから学習は始まりました。
「NPO法人信州協働会議」理事長の八幡香さんが、集まった子どもたちに「寒天は知ってるかな?」の問いかけをしました。「給食で出る!」「サラダで食べるのが好き!」と反応の良い子どもたちに「ところてん」の説明をし、昼食で食べるための下準備をしてから出掛けることにしました。
乾燥した角寒天の実物に触れ、あらかじめ準備してあった寒天を煮溶かした液体を容器に流し込んだ子どもたち。市内にある松木寒天産業株式会社の「長寿寒天館」へ出発しました!
同社の熊沢美典さんが案内役として、寒天の歴史を解説してくださいました。
まずはテングサの倉庫に案内された子どもたち。乾燥したテングサが袋に詰められ、積み重なった倉庫に入った瞬間、反射的に「うわっ、くさ~い!」と鼻をつまみました。
しかし途中から潮のにおいと気づき「あ! 海のにおいがする~」と海の存在を身近に感じとりました。
寒天の歴史は江戸の初期に遡ります。
京都で旅館を営んでいた美濃屋太郎左衛門(みのや・たろうざえもん)が、料理に使ったところてんを庭に放置したところ、真冬の寒さで凍結。その後、日中の日差しで解凍されて乾燥し、白く半透明な乾物に変わったことが始まりだとされています。その後、高僧隠元禅師が冬の空を意味する「寒天」と名付けたとされています。
茅野市に伝わったのは、それから後の天保年間(1830年頃)。
茅野から関西方面へ行商に行った小林粂左衛門(こばやし・くめざえもん)が、寒さ厳しい茅野の気候に似ていることから、冬の農閑期の副業として寒天の製法を持ち帰ったことから、諏訪地方の産業になっていきました。
諏訪地方独特の棒状の「角寒天」は、現在では茅野と諏訪地域で全国の生産量の100%を作っているそうです。
テングサは海藻の中でも深海にある紅草類に分類されるもので、寒天になる成分は重量の約2割程度。1kgであれば200gほどが寒天となり、残りは“天がす”として肥料などに使われるのだそうです。
海藻の産地は、国内は愛媛や長崎、大分、海外ではチリや南アフリカ、モロッコなど、その年の生産量に応じて産地が異なることも学びました。
寒天づくりは、海藻を十分に洗浄し、大釜で煮詰めることから始まります。
ところてん状にして、天日干しで乾燥させる製造過程などが展示された館内をめぐると、
「海藻はどうやって茅野に運ばれたのですか?」と質問が出ました。
熊沢さんは「大量に内陸に運ぶためには天竜川など、川を使って運ばれました。同時に茅野には海苔なども運ばれて来たんですよ」。
海とのつながりが深いことが分かりました。
「御柱祭とつながりはあるのですか?」という質問には、
「寒天料理は日持ちすることから、お祭りの来客へのおもてなし料理として古くから使われてきました」との回答に、御柱祭のにぎわいを経験している子どもたちも納得の様子でした。
寒天と茅野とのかかわりを学び「長寿寒天館」を後にした子どもたち。
出発前に準備した寒天を冷蔵庫から出してもらうと、今度は「ところてん作り」に挑戦しました。
「天つき」という道具を使って押し出す作業は興味津々。
プルプルの寒天が目の前で出来上がると、さっそく味わいました。
また、昼食には、ところてんのほか準備していただいた手作りの寒天デザートを食べ、茅野と海のかかわりをおいしく学びました。