6月24日は、大町エリアの子どもたちが「塩の道ちょうじや」で、2回目の学習を行いました。
講師は、今回も元大町市教育長で、長く小中学校の教員を務めた荒井和比古先生です。
まずは前回学んだ、海のない長野県にどこから塩が運ばれてきたのか。日本海や太平洋だけでなく瀬戸内海からも船を使って運んできたことを確認しました。「この間は少し難しかったかな?」と荒井先生が話しかけると「ちょっと難しかった」と小さな声が聞こえました。
荒井先生は「昔の人は、遠くの海でできた塩を苦労して運んで、塩を食べて健康でいたから、今のみんなの命があります。みんなの命があるのは塩のおかげ。『塩の道』は、その大切な塩を運んだ道を大切にしようと、20年ほど前につけられた名前です」と語りかけました。
今回は大切な「塩の道」を、北安曇郡の現在の地図と元禄15年(1702年)の地図を使って辿りました。
まず両方の地図から「戸土」「横川村」「地蔵峠」と、荒井先生の上げた地名を1つひとつ探して赤丸で囲んでいきます。
「塩は、どうやって運んだと思う?」と問いかけられた子どもたちは、「馬」「人が背負ってかな?」「台車みたいなの」…想像を膨らませます。
「『峠』は、山を上に下にと書きます。山をくねくねと登ったり下ったりするのが峠道。重い塩は『牛』に積んで運びました」。
「道端に道祖神とか石のものが並んでいるのは昔の道。無事に目的地に行けるように祈って建てられた物です」。
荒井先生から様々なことを教えてもらいました。
古い地図を見た子どもたちも「筆で書いてある」「村がたくさんある」「カタカナが書いてある。昔はカタカナはないと思ってた」「浅間山が噴火してる!」。色々な発見をしました。
普段目にする物と少し違う昔の地図を見たり、自分たちの身近な地名を探したり、地図を通して遠く海から運ばれてきた「塩」が通った道を、楽しみながら辿っていました。