レポート
2018.06.20

【大町】信州は意外な海とつながっていました!

大町・塩尻・茅野の3地域でスタートした「信州 塩をめぐる冒険」。

信州 塩をめぐる冒険とは?

6月10日は3地域の先陣を切って、大町エリアの子どもたちが学習を行いました。会場は「信州 塩をめぐる冒険」の結団式が行われた「塩の道ちょうじや」。床の間や障子のある和室の講座は、地域の子どもたちが集う“寺子屋”のような雰囲気の中で和やかに進みました。

講師は元大町市教育長で、長く小中学校の教員を務めた荒井和比古先生です。

寺子屋風2

まずは、結団式からの“宿題”だったという「普段の食事で食べる海のもの」を挙げることから始まりました。

子どもたちは、口々に「あさり」「たらこ」「いか」「さけ」「わかめ」「ちくわ」「まぐろ」「塩」…と意見を出し合い、いつも何気なく食べている食事の中に、多くの海産物があることを改めて認識しました。

 

「塩」が挙げられたところで、子どもたちに配られたのは地図帳と白地図でした。内陸の長野県に、海の塩がどこから運ばれてきたのか「塩の道」を調べるためです。荒井先生から指示されたのは愛知県豊田市の「足助(あすけ)」、静岡県の「富士市」、同じく静岡県の御前崎半島にある「天竜川の河口」、そして新潟県の「糸魚川の河口」でした。

白地図に書き込んでみると、日本海と太平洋のどちらからも塩が運ばれてきたことが明らかになりました。

太平洋側の足助から運ばれた塩は「足助塩(あすけじお)」、静岡から運ばれた塩は「駿河塩(するがしお)」と呼ばれたほか、太平洋側から運ばれた塩は、その方向から「南塩(みなみしお)」、日本海から運ばれてきた塩は「北塩(きたじお)」と呼ばれたそうです。

長野県への塩の道

「みなさんが住んでいる大町に塩が運ばれて来るとしたら、太平洋と日本海の、どちらが近いかな?」

荒井先生の問いかけに、書き込んだ白地図で確認した子どもたち。縦に長い長野県の北部にある大町市は新潟県に近く、ひと目で日本海であることがわかりました。

日本海からの塩の道である千国街道の距離は、新潟・糸魚川から松本まで30里(1里は4kmなので約120㎞)。大町までは20里(約80㎞)です。

寺子屋風3

ところが、次に配られた資料から知る地名に、子どもたちは驚きの声を上げました。

資料は、弘化3年(1846年)の古文書をわかりやすく記したプリントで、糸魚川から千国番所(現在の小谷村)に運ばれた塩の価格を書いた「安曇郡千国番所宛糸魚川塩値段書上」でした。

古文書の資料

文字を見ると

富浜塩 千六俵」

三原塩 七百五拾俵」

立ケ浜塩 千百弐拾俵」

など、これまで出て来なかった地名が記されており、1つひとつを地図帳の索引ページで調べていきました。

すると、富浜と三原は広島県、立ケ浜は山口県であることがわかり、

「えっ!? 遠い」

と言いながら瀬戸内海にある地名を白地図に記していきます。

瀬戸内海の地名を記入

「瀬戸内海から糸魚川までは、どうやって塩を運んだと思う?」と荒井先生から問われた子どもたち。

長野県までの距離を見ながら、「人や馬を使って運んで来たんじゃないかな」。

しかし、荒井先生からの答えは「たくさん荷物が積めることから船で運んだんですよ」。

瀬戸内海から関門海峡を通って日本海を北上した来たと聞いた子どもたちは、目を大きく開いて驚きの表情に変わりました。

寺子屋風1

船とは「北前船(きたまえぶね)」のことで、江戸時代の中期から明治30年代まで、大阪から瀬戸内海、日本海を通って北海道を結んだ帆船です。

途中、石川県の能登半島に寄港し、塩が内陸に入って来たという経路を学び、子どもたちは「昔の人は遠くから船で運び、長距離を歩いて運んだことがわかりました」、「昔の人の苦労があったから、今の人たちが生きていることを知りました」と感想を語りました。

能登半島の先端・珠洲には、今でも海水を使って浜辺で塩を作る昔ながらの製法「揚げ浜式(あげはましき)製塩法」が残っていることなども学び「作ってみたい!」と積極的な意見も出ました。

また、塩が運ばれたルートを学ぶ中で、戦国時代のエピソードから「敵に塩を送る」という故事から始まったとされる松本の「あめ市」の紹介もされました。

当時、太平洋側から塩を流通させていた今川氏と北条氏が、敵対する甲斐(山梨県甲府市)の武田信玄を困らせようと塩を送ることをやめ、それを聞いた越後(新潟県)の上杉謙信が武田信玄を助けようと、日本海から塩を送ったことと伝わります。

その塩が、新潟から松本に到着したのが1月11日。その日を記念して「塩市」として始まり、現在は「あめ市」として親しまれていることを学びました。

地名を記入

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